こんにちは😆
はいチーズ!のデザイナー🍓いちご(@suigyooza_)です!
SEN Advent Calendar 2025 4日目の記事を担当します🎄
先日、株式会社スタメンとスマートキャンプ株式会社のデザイナーさんとのLT会で「エビデンスのない私の共育論(きょういくろん)」についてお話をさせていただきました☺️
そのLT会でお話した「1on1」という言葉への異議申し立てについて、会の時間の関係で割愛した部分も合わせて、このブログでも少し綴ってみようと思います🎁

初めての社外登壇とっても楽しかったです🥳 LT会を主催してくださった方々に大大感謝です✨スタメンさん @stmn_inc
— moco (@moco_megane) 2025年11月28日
スマートキャンプさん @smartcamp_cp
そして千@SEN_PR の
3社合同デザイナーLT会を開催しました!
クローズドだからこその距離感で、発表も質疑応答も盛り上がりとても楽しかったです!
ご参加くださった皆さま、ありがとうございました❤️🔥 pic.twitter.com/s2AQGPd5eQ
👇LT会の詳しいお話はこちら
「学びの交換」と「新たな一歩」/3社合同デザイナーLT会を開催しました - SEN PRODUCT BLOG
あらためまして
私は元々、新卒から私立幼稚園で教諭をしていました。
中学1年生の時にボランティアで行った保育園が楽しすぎて「自分の天職はこれだ!」と母に即報告をし、それ以降自分の園を作りたいという野望を密かに育てていました。
中高時代からボランティアに定期的に行き、大学時代も預かりの手伝いやアルバイトを続け、幼稚園教諭になる前から「こういう形で子どもたちと過ごしたい」という理念を作り上げていました。 そして現場を離れた今も、その理念は揺るがず大切にしています。
最近、自分が「教える」という立場を求められるようになった時に、改めて自分の中の「教育」という言葉と向き合ってみると、その理論が今もなお自分の中で軸となっていて、全ての点と点が繋がっていることに気づいたんです。
そのタイミングで登壇することになったので、言語化してみるとスルスルと形になってビックリ。 こういう自分の考えを言語化できた瞬間ってカタルシスを感じますね🤭✨
1on1という存在
私は昔から「上下関係」というものが得意ではありません。
学生時代、運動系の部活にも関わらず、学校の中でトップレベルな淡白な付き合いをする文化の部活に入っていたので、上下関係というものにあまり触れずにきました。
一番上下関係を触れたのは幼稚園教諭時代かもしれません。 幼稚園に自分が働き始めた頃はまだ新卒がやるべき仕事が数多くあり、その考え方が色濃く残っていました。それが自分が2年目になった時にはかなり緩和されたのですが、空気が柔らかくなったのをすごく感じました。
上下関係って空気を硬くすると思っているんです。酸素濃度が薄くなるというか。
「1on1」
それは世の中で、極一般的に使われている言葉だと思います。
残念ながら1on1は最新版である広辞苑(第七版)には収録されていないのですが、「上司と部下が1対1で定期的に行う面談」という認識を多くの人がしてるのではないでしょうか。
「上司と部下」
これってめちゃめちゃ上下関係を連想させる言葉ですよね。 日々感じていること・仕事での悩み・どんなことに行き詰まっているのかを聞き出したいのに、上下関係が定義されている場では私は話しづらいと感じるんです。
その理由を噛み砕いていきます。
前提としてお伝えしたいのは、今私のカレンダーに登録されている「1on1」に不満を持っているというわけでも、今後一切、私に対して「1on1」しないでほしい!というわけでもありません。 そして「1on1」という存在が一般的になっていることに、不満があるというわけでもありません。
ただ「1on1」に似た場をカレンダーに登録しようとした際に「1on1」という言葉を使用していては実現不可能と感じて、悩みに悩んで別の名前をつけたことがきっかけで、自分は「1on1」という言葉が苦手だったんだと気づいたことが背景にあります😌
ヒト対ヒトで一番大事なこと

人間関係や対人関係において、一番大事なことは「同じ目線にたつ努力」これに尽きると私は思っています。
十人十色という言葉がある通り、どんなに家族でも生まれた時から一緒にいても、長い年月一緒にいても、一人一人個性や考え方、好みが違います。
相手の全てを理解する、把握することは難しいです。
だからこそ「同じ目線にたつ努力」をし続けないといけない。
相手だけじゃなく、自分自身に対しても。
「同じ目線」とはどういうことか?
私は、単に見ている方向を合わせるということではなく「同じ温度で共有しあえる関係にあること」だと思っています。
一緒に楽しんで、一緒に悩んで、一緒に悔しんで、一緒に発見して、一緒に歩く。色んな瞬間を同じ温度で感じられていたら、それは同じ目線に立てていると思うんです。
でもその状態になるには、前提があって
- 見える高さが揃う
- 心の目線が揃う
この2つが揃った状態で初めてできることとも思っています。
でもそれがなかなかに難しい。大人になるにつれ尚更。
子ども達はこれが本当に上手です。
だから私は子ども達が大大大好きなんです🤫
昔は上手だったのになぜ今難しい?
私の思う理由を1つ提示するのであれば、それは、ヒト対ヒトには必ず上下関係が存在するからです。私たちは無意識のうちに、高い場所から相手を見てしまいがちです。
「親と子」「先生と生徒」「先輩と後輩」「上司と部下」「得意と苦手」「長いと短い」「早いと遅い」・・数え切れないほど上下関係となりうる要素が潜んでいます。この「上下関係」こそが厄介な壁なのだと思っています。
でも上下関係はいついかなる時も存在するわけではなく、本来発動するのは「指導」や「注意事項」が伴うときだけだと思っています。
もちろん、社会秩序を保つには、ある程度の上下関係は必要不可欠です。しかし「指導」や「注意事項」が伴わないときは、本来上下関係は不要だと私は思うのです。
そして、その「指導」や「注意事項」が伴うタイミングこそ「教育」という言葉である『教え育てる』という瞬間です。
ようやく「教育」という言葉が出てきたところで、「きょういく」について深ぼりをしていきたいです。
「きょういく」とは
私は「きょういく」という言葉には、2種類あると思っています。
1つ目は先ほどあげた一般的に思い浮かべる「教育」
そして、もう1つは『共に育む』という「共育」です。
「共育」とは何なのか、その話をする前に「先生」という存在についてお話しさせてください。
先生という存在
もうお気づきかもしれませんが、私はどちらかというと「先生」という言葉も得意ではありません。
先生を「先生」と呼ばない文化に惚れて働く幼稚園を決めたくらい、私は先生と呼ばれることが嬉しくありません。それは先生と園児という「上下関係」を促す言葉であるから。
先生と聞くと、多くの人は「教えるヒト」という言葉に変換すると思います。
しかし私は、教えようと思って子ども達と関わったことはありません。教えたくて先生になったわけでもありません。
子どもたちが家族という輪から飛び出し初めての触れる社会という環境で、大好きな家族以外で初めて密に接するヒトとして、近くにいることの権利をいただくために、教員免許を取り、先生になりました。
もちろん、少しだけ長く生きている身として、生きるために大事なことを必要なタイミングでお話しをすることはありましたが、むしろ私の方が子ども達にギフトをもらったと感じています。
私が先生という言葉を言い換えるなら
あらゆる可能性の種をまいて
その可能性の芽が出るように水をあげ
芽が出た後もすくすく育つように水をあげ
しょんぼりしてる時は原因を一緒に考えて元気になるために日を当て
悩んでいる時はいろんな可能性を見つけられるように日を当て
間違った方向に進んでいる時は正しい道に戻れるように支柱を刺し
元気でいられる環境を整えて
共に育ってくれるヒト
だと思っています。
『教え育てる』瞬間ももちろんありますが、その時間より『共に育む』瞬間の方が何倍も多く、その時間こそが一番大切だと思っています。

共に育む
長々と思いを連ねたところで、少し幼稚園の現場で見てみます。
今あなたは、4月に入園したばかりの年少クラスの担任をしています。
5月に入ったばかりの頃、「見て!」と園庭の花壇で咲いていた綺麗なお花を摘んで、私のところにAちゃんが走ってきました。
みなさんは
- まずどんな行動をとりますか?
- Aちゃんの様子を見ながらどんなやり取りをしますか?
- そのやり取りの先でどんな発展を想像をしますか?
大人の理屈だけで言えば、「花壇の花を勝手に抜いてはいけません」と注意するのが正解かもしれません。
注意するだけではなく、見える高さを揃えて、心の目線を揃えて、同じ目線にたつためにたくさんお話をします。
見えている高さを揃える
私は、必ず、まず膝をついて子ども達と同じ背丈になります。
Aちゃんとはどうしても身長の差がありすぎます。自分の身長が100cmも満たない時代の記憶は、残念ながら全くありません。
まず物理的な目線を揃えることで、低い位置にあると思っていた花がすごく近くに見えたり、遠くにあると思っているものでも見える範囲が狭くなることで鮮明に見えてきたり、子ども達の視界が見えてきます。
そうすると、近くに「手を伸ばしたくなるほど魅力的なお花」が広がっていたことに気づきます。
Aちゃんだけではなく、他の子ども達もお花に気づいた時に「かわいい!」と思って抜いてしまうかもと、まだ幼稚園の花壇のお話しをしていなかったことにも気づくかもしれません。
きちんとその場でも、花壇のお花を抜いてはいけないお話をきちんとします。
先生:すごい綺麗なお花だね、どこに咲いていたの?
Aちゃん:あそこだよ!
先生:よく見つけたね!でも、あの花壇のお花は園長先生が育てているお花なんだよ。Aちゃんが大切に育ててるものを知らないうちに誰かに取られたらどう思う?
Aちゃん:悲しい・・
先生:そうだよね、大切にしているものを取られたら悲しいよね。園長先生に「抜いていい?」って聞かずに抜いちゃうと園長先生悲しんじゃうね。
ときちんと、お話ししつつ、園長先生に何とお話しするか一緒に考えます。
そうすることで、なんでいけなかったのか考えながら、自分の気持ちに向き合うきっかけを作ります。
うまく言葉にできないこともあるので、その時は「こんな風に伝えてみる?」「こういうのはどうかな?」とイメージができるように手助けをします。
心の目線を揃える
次に「なんで抜いちゃったの?」と気持ちを聞きます。どんなに突発的なものでも、何かしらの行動には必ず理由や気持ちがあると思います。
聞いてみると
- 綺麗だからママにあげたかった
- 先生に見せたかった
- 髪飾りにしたかった
という、その子の純粋な「やりたい気持ち」が見えてきます。
頭ごなしに否定するのではなく、その子の「やりたい」を受け止めた上で別の形でそのやりたかったことを実現できないか提案をします。
- かわいいお花、先生折り紙で作れるよ!ママにプレゼントするお花一緒に作ってみる?
- 園長先生にごめんなさいした後、教室に飾ろうか?教室が可愛くなるね!
- 髪飾りにぴったりなかわいい色のモールあるんだよ!何色が好き?
そうすることで、自然と新しい遊びや発見へと「発展」していきます。
クラスの子ども達が一緒に始めて、クラスにブームが来ることもありますし、お店やさんをして他のクラスとの関わるきっかけにもなるかもしれません。
『共に育む』先に、必ず「発展」があります。
その「発展」こそが「成長」や「発達」を促す大切な要素だと考えています。
その先に発展がある
こうやって同じ目線に立って「発展」という色んな道を作ってあげることを「種まき」と、私はよく表現します。
その子の経験や出来事という木の周りに、たくさんの種を撒いてあげるんです。
それがいつか芽を出して、その子ならではの森ができることをイメージしながら・・
10人には10人の考え方があるのと同じように、周りの人の関わり方も色んなやり方があるので、ヒトはいろんな経験を積みながら、色々な人に種を蒔いてもらいながら、森を自分らしく育っていきます。
その森こそが「個性」です。
『同じ目線にたつ努力』をすることで『共に育む』ことで、その子の「個性」を伸ばす成長の機会に変わるんです。
それが、『共に育む』という共育を一番大事にしている理由です。
そして不思議なことに、このやりとりって本当に受け継がれていくんですよね。
年長さんに学年上がった時に、年少さんが抜こうとするところを見つけたら、先生に言いつけるのではなく、「ダメなんだよ?」とか「一緒に謝りに行こっか?」とか目を合わせて話せたりするんです。
大人の世界での「共育」
今まで子ども達とのお話を書いてきましたが、『共に育む』という共育こそが一番大事なのは「大人の世界でも同じ」だと思っています。
だって、大人になっても成長しかしてないですよね?
その成長は自分の頑張りもあるし、知らず知らずのうちに周りの人が埋めてくれた種がいつしか芽を出して、森が茂っていくからだと思っています。
仕事の中での私の「同じ目線にたつ努力」については、去年のアドカレ🎄で書いてるので良かったら覗いてみてください👇
同じ目線にたつことで、自分も相手も見える景色はきっと変わってくると信じています。
「上司」として上にたつことが多い方こそ「同じ目線にたつ努力を少しでもできているのか?」と定期的に自分に問いてほしいなと思っています。
けして家族や友達みたいに関わってね、という話ではなく。
私にとっての「1on1」
前段で、自分が「教える」という立場を求められるようになった、と書いてますが、自分がどんな関わりをしているかというと、まず「1on1」という言葉を一度も発したことはありません。
どういう名前でカレンダーに登録するか悩みに悩んで「待ち合わせ」としました。
「待ち合わせ」もまた広辞苑(第七版)には収録されていないのですが、「事前に決めた場所と時間に他の人と会うこと」という言葉なので、自分のネーミングセンス最高やん!と、とってもお気に入りです☺️
自分と会話する事で、少しでも目の前の道が明るくなって歩きやすくなったらいいなぁという思いで「待ち合わせ」をしています。
今まで自分と関わってくれた沢山の方々が埋めてくれた種を、少しでもお裾分けしたい、そんな気持ちで日々お話をしています。
待ち合わせ
「待ち合わせ」では、今やっている作業、会話した内容、自分の感じたこと、いろんなことを考えながら作ったもの、私に聞いてみたいこと等、本当に色んな事のお話しをします。
そして私も全力で、自分がその場にいたらを想像してたくさん考えて話をします。
私の方がこの時間を楽しんでいるかもしれない。それくらい「待ち合わせ」の時間が大好きです。
おかしいと思ったことはその場で言葉にしますし、違和感に感じた瞬間にストップして一緒に考えます。なんでそう考えたのかを一緒に紐解きながら、自分ならこうするよとその場で勝手に作り始めることもあれば、理由や背景を話しながらパターンの現実的な順位とかも話します。たくさん考えた内容はこういう説明をつけてあげると相手に届くかも、と自分が説明するイメージで伝えたりもします。
同じ目線にたつと、相手の得意な部分や苦手な部分、まだ自分の力ではイメージしきれない部分が見えてきます。
まずやってみ!という考え方も大事です。私もむしろ、そのタイプです。しかし、そもそも相手がイメージができないのにただ言葉だけで渡して、イメージを異なっていたら出来てないと決めつけるのは言葉の暴力です。
保育という現場では年度末に要録というものを書きます。
要録とは子ども達の成長をまとめるもので、私は教諭時代、書きたいことが溢れてしまうくらい要録を書くのが大好きな珍しい人種だったんですが、今、待ち合わせをしていても時々要録書きたくなります。
それは「待ち合わせ」という場で同じ目線にたつ努力をできている証なのではないか、そう思っています。
周りの人が埋めてくれたであろう種や自分の埋めた種が芽を出す瞬間は、それはそれは本当に愛おしいです。
まとめ
たくさん回り道してしまいましたが、「1on1」という最初の話に戻します。
私がなぜ「1on1」という言葉に少し抵抗を感じるのか。
それは、多くの1on1が「上司が部下を管理・指導する場」になってしまっている気がするからです。
上司だからといって、高い場所から指示を出すだけではなく、膝をついて同じ高さの景色を見る。「なぜそうしたのか」「何がやりたかったのか」という心の目線を合わせる。そうして初めて「1on1」は単なる面談ではなく、お互いの可能性を広げる「発展」の場になるのだと信じています。
同じ考え方をするヒトが増えていくことで、みんなが、生きやすくなることを願っています。
以上、エビデンスのない私の共育論でした!
おしまい🍓
次回予告
明日は、5日目となるSEN Advent Calendar 2025 🎅🎁
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